わたしは社会人歴=IT業界経験ですが、IT業界に入ったのはただの偶然です。社会人になるときに一番重視したのは「東京に行けること」だったので、正直仕事は何でも良かったのです。地方出身だし当時全くお金がなかったので「本社が東京にあり、東京で働けること」・「最終面接は東京で、旅費も出してくれる会社」・「仕事内容が嫌いじゃないと思えること」を軸にしていました。
就職活動はあまり熱心にやっていなかったので、気づいた時には周りのみんなは内定をもらっていて、ポツンと取り残されたような感じでした。幸い、一番仲良かった友だちは内定をもらっていなかったので(失礼…)、そこまで焦らず「そろそろ動くか」って感じで大学4年の初夏くらいから動き出しました。
わたしは"みんなと同じ"に少し抵抗があったので、むやみやたらにエントリーシートを出すこともしなかったですし、大学の就職課に行くこともありませんでした(毎日のようにみんなはリクルートスーツを着てどこかに行ってましたね…いまだに謎)。それに女性は、ガバッと襟が開いたシャツと膝丈スカートが定番でしたが、それも好きじゃありませんでした。第一ボタンまで締めるタイプの普通のシャツとパンツスーツにしました。動きやすくて良かったです。
あとは上記のマイルールにのっとって、インターネットで新卒採用の会社を探しました。リクナビを使ったと思います。在学中は高給を狙って家電量販店でアルバイトをしていたことがあったので、「携帯を家電量販店で売る仕事をしています」と話をしている会社に興味を持ち、会社説明会に行きました。そこでは社長が自分がどんな思いで会社を興したのかという話をされて、わたしはすっかり社長を好きになり、そのまま面接に進んでいきました。
初めての東京で最終面接があり、地元が同じメンバー3人で臨みましたが、彼らがしどろもどろになっていたため、逆にわたしは冷静になって話すことができました。持ち前の勝負強さで最終面接もクリアして内定を得ることができました。そのあとは楽しみにしていた恵比寿を1時間さまよって、なんとか欲しかったジーンズを買えたことが一番印象に残っています。
わたしはこれくらい適当な就活をやっていましたが、これがすべての始まりでした。
そうして仕事をスタートさせましたが「携帯を家電量販店で売る」ことはなく、「パソコンをインターネットつなぐ人を派遣する」のが最初の仕事でした。まだADSLが当たり前の時代で、一般の方がパソコンをインターネットにつなぐのが難しいとされている時代でしたので、その専門家を派遣するために、専門家を集める・専門家が仕事する場所と日時を決める・実際に作業する・アフターフォローをするみたいな日々でした。
ネットワークがなんちゃらみたいな話で、専門家の方が話す内容が全くわかりませんでした。難しくて嫌だなと思うことが多かったので、なんとか勉強してついていけるようにがんばりました。その姿を周りの人は見てくれて、「そこまでわかっているなら今話しているのはここだよ」と前より詳しく説明してくれるようになったり、「次はここの部分を勉強しておいて」と示してくれたりするようになりました。道すじが見えると進みやすいものですよね。
社内にはさまざまな人が働いていて、その方々から色んなことを学びました。若くして役職についてみんなを引っ張る先輩や、ただのんびりしているだけのように見える役員、女パワーを最大限活かしてバリバリ働いている人、自分の興味ある分野にのめり込んで勉強している人…東京って色んな人がいるんだなぁと実感しました。
できるようになることが楽しくて、Web系やデザイン系も勉強していましたが、日常業務が忙しすぎてうまく自分をコントロールできない日が増えてきました。元からある「完璧主義」な自分が悪化して、どんなに時間がかかっても、自分が納得できるところまでやるようになってしまいました。気づけば朝になっていることがしょっちゅうでした。でも早番の方が来る前に、逃げるように帰ります。会社にバレてしまっては面倒ですからね。
「自分がやらないとダメだ」という強い思い込みの中で、でも成果を出せない自分へのストレスが溜まって、わたしは限界を迎えました。明け方、置き手紙を残して、会社を去りました。
それほどドラマチックな展開はありません。ただ、今でこそしっかり働いているわたしですが、過去にはそんなこともやっていたのです。だからこそ、「人生に失敗はないんだよ」と伝えていきたいのです。
この続きはまたそのうちに。